Identity

ジョカン寺前のバルコル広場 2026.04.03 / Essay

100ドルを旅先で知り合った日本人に借りて、帰国間際に立ち寄ったチベット。 フィルムはフジクロームのRDPが2本とコダックのTri-Xが1本しか残っていなかった。

カトマンズから空路でラサへ。しかし、当時はまだ空港ビルもなく、機体は原っぱに着陸。 若草色の制服を着た入国審査官3名が出張してきて入国しても、バスもタクシーも見あたらない。一瞬、戸惑ったが、ラサで唯一、酸素ボンベを置いていた「ホリデイイン」の送迎車が停まっていたので便乗させてもらい、中心部に向かった。 右手に驚くほど鮮やかなトルコブルーの湖が見えてきて見惚れていると、前方はるか向こうに、赤褐色と白のポタラ宮が小さく見えてきた。「やっと来れた!」。10日程前には陸路で入ろうとして、ボーダーで追い返されていたのだ。冷え切った体にロビーの暖房が気持ち良く、暫くこの快適さとは無縁になる覚悟をしてから、大昭寺近くの安宿に向かった。

空は青く透き通り、空気がキラキラ光って見えた。区画整理された道路にはレモン色の色鮮やかな銀杏が植えられ、解放軍が交通整理をしていた。今ではすっかり様変わりしたポタラ宮周辺。私はその変容の分岐点にギリギリ滑り込んだかのようなタイミングで、ラサの街を歩いていた。

チベット仏教の総本山大昭寺(ジョカン)がある中心部に近づいていくと、徐々に濃密な空気感に変わっていく。何百キロも離れた遠方から大昭寺を目指してやってくる巡礼者の集団は、五体投地で凄まじい音をたて、土埃をあげて私の横を通り過ぎていく。

近道になるかと細い路地に入っていくと、そこは「トム・セーカン」と呼ばれるチベット人用の市場だった。大雑把に刻まれたヤクの肉、量り売りのヤクバター、リヤカーに積まれた野菜や揚げた甘いお菓子、平たいチベットのパンなど、多くの露店がひしめき合っていた。市場を抜けていくと、仏具やアクセサリー、土産物の店舗が並ぶ仲見世に出る。寺をぐるりと囲むこの仲見世と、寺の前の広場を含めて、この辺りは「バルコル」と呼ばれている。

バルコルには毎日通った。巡礼者だけでなく、僧侶、旅人、多くの民族がそれぞれ独特の衣装に身を包み、行き交っていた。ターコイズや珊瑚、琥珀を金銀と一緒に組み合わせた、煌びやかな装飾のチベットの女性、真っ赤な紐を頭に巻き付け、腰にナイフをぶら下げた体格のいいカム族の男性などは、一際目立っていた。1時間もいれば、あちこちで僧侶が演奏したり、歌い出したりして仏教パフォーマンスを楽しませてくれる。簡易テントの下でいつも経を読んでいた僧の横や、遊牧民の家族の横に座って、人々の往来を眺めながら、何かが始まると駆けつけて撮影した。

リバーサルフィルムは一枚一枚大事に撮影していたが、残り5、6枚となった日、最後の1本、Tri-Xを望遠のカメラに入れて、バルコルに向かった。300mmだとほぼ被写体には気づかれず、自然な表情が撮れていいのだが、ファインダーを覗いていると、広角や標準では気づかなかった何かを感じ始める。表に見える表情と、抑え込まれた思いのようなもの。バブルで浮かれている日本から来た私が、暫く接触していなかった尊いもの。人間の根源的で純粋な願い。彼らを見てやっと、オートフォーカスのピントが合う音を感じる。ここバルコルにはそんな願いが渦巻いていた処だったのだ。